においの記憶ってすごいですよね。窓から匂うキンモクセイの花は私の保育園時代の記憶を簡単に呼び戻す。保育園から帰る道すがら、いつも見ていたキンモクセイ。本当はあまり行きたくないけど、しぶしぶ行っていた保育園。今みたいに先生の眼が行き届くわけでもなく、いじめは何かしらあったと思う。しょうがないけど、行きたくない保育園に行こうと思っていた自分をふいと思い出す。私にとってキンモクセイの記憶。
今まで作品作りをしていて心掛けていたことは、自分の半径5メートルのに答えはあるということ。制作のテーマを大上段に構えるのではなく、自分の目線にあくまでもこだわってきた。個展のタイトルも『リアルなココロ、ぬかづけなココロ』だったり『畳のしめりけ』だったりと自分の鎧をいかに外すかがテーマになってきた気がする。
でもよくよく考えると、半径5メートルである以上、中心軸が存在する。中心軸はそうだよね、私だ。私しか詰まっていない。もういいかな、もう十分と自分に伝えたい。自分発信ではなく、何も置かないこと。空がいい。自分は木彫りの職人であって、作る作品は自分ではない。
自己表現という何だかかっちょいい匂いの粉をまかれていて、最近まで、ああ、今もそうか、作品からは私しか出てこない。他社のために掘ること。祈りのかたちを彫ること。中心軸は空のまま。
コメントをお書きください