気が付けば、猫はずい分彫っています。確かに猫好きですが、犬も好きです。今我が家には猫はいませんが、柴犬の雑種のりゅうがいます。動物って言葉をしゃべれないけど、意思はよーくわかります。どうもりゅうは私のことをエサ係としか思っていないのが、これまたよーくわかります。
猫はなぜか、私が過去飼ったた連中は、性格がよろしくないのばかりでした。飼い猫なのにのら猫の風貌だし、太っていて相当臭い。外で会うと他人のふりをされる。声をかけんじゃねーよオーラぷんぷんなので、こちらも知らん顔をするしかないです。そうなんですよ、私の彫る猫たちは、私がかつて共に暮らした猫たちそのもので、言い換えると、私の好みの猫に、飼い猫たちは全て変容する。だから、わりと愛嬌のある猫は長く私のところにはいつかない、、。言葉で表現しない腹の気持ちって、恐ろしい。それは美術作品や音楽を聴いていても分かる。作者の人としての成りが、、。
本題の話に戻りますが、最近自分で彫る猫たちの雰囲気が変わってきたように思うんです。人にも言われますし、自分でも気づいています。私は長いこと自分しか見てこなかった。正直人は関係なかったように思う。プラスで言えば、どんな環境に置かれても自分の意志を貫けるし、動じることはない。問題は人と人間関係を構築できない、人の気持ちに気付けない。私は今までたくさんの人を傷つけてきたと思う。猫のマイペースぶりは、私がそのまま投影できるモチーフだった気がする。
でも、ここにきて病気を患い、思うように外に出歩けなくなると、自分がいかに愚かであったかを、
感じずにはいられない。生きて何ぼ!という思いは、少なからず、私の彫刻の猫たちの性格を変えたようなきがする。作品って思いの形なんだと思う。
6月9日(土)から、長くお付き合いしているすいらんで、個展をします。お時間が許せば、足を運んで下さい。私は初日だけですが画廊にいます。みなさんの感想を聞かせてください。待ってます。
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北村 (水曜日, 23 5月 2018 16:52)
在廊されるのは9日ですか!その日はどうしても外せない用事が入っています。残念です。。。